知将・野村克也の特別ゼミナール

 1998年オフ

─ わが野球人生、勝負哲学のすべて ─

野球界の乱れに乗じる

今 、プロ野球は野球の本質から離れてしまって、ただ“投げて打つ”という一本調子の野球が主流になっています。野球は団体競技だから、戦争にたとえるなら、「意思の統一なくして出陣するな」ということです。いかにチームをまとめるかが大事で、まとまらない限りは、どうしてもいい結果が出せない。そうした相手チームの乱れに乗じる。野球に対する私自身の考え方をまとめると、まず第一が「思想を持って戦うこと、つまり、私の思想を選手にどれだけ浸透できるか。意思の統一をはかるためには、リーダーが方向を示さなければならないわけだから、私は、私の「野球に対する考え方」はもちろんのこと、「人生に対する考え方」「躾(しつけ)や教育に対する考え方」といったことまで選手たちに伝えてきました。各論的には、たとえばチャンスをどうとらえるか。「チャンスの裏にはピンチがある」。それだけではなく反対から見て「ピンチの時にも裏はないか」といったものの考え方、さらに判断力、決断力など、野球に関わるすべての要素に対して、きちんとノートまで取らせて、私の思想、哲学を話すんです。

監督(トップ)は己に克て

思想を浸透させるためには、監督である自分自身が成長しなければいけない。何かの本で、「リーダーの力量以上に組織は伸びないということを見て、なるほどと思った。強いて言えば、それは選手との戦いでもある。だから、己に克って選手に勝たない限りは、相手チームには勝てないんです。第2には、適材適所という言葉がありますが、「人使いの妙」というか、人をどう使っていくかということが重要です。野球は9人しか使うことができない。だから、私が一番気を使うのが、ベンチにいる選手です。彼らに、今年はもう駄目だ、と戦意喪失されるのが一番困るどういうことかというと、チームの目標達成と選手個々の欲求があって、その狭間にいるのが監督なんです。だから監督である私がこれをどうやって統合させていくか。そういう「人使い」の難しさが、アマチュア野球とプロ野球の決定的な違いだろうと思います。それに、「野球が人生」でやってくれば、35歳を過ぎると、いつしか野球選手としての終わりが見えてくるものなんです。そういう心情を考えてやらないといけません。だから自分も、絶対に自分自身の弱みを見せないんです。第3は、野球というのは「傾向と確率」という2つの要素が大事だということです。勝負の世界だから、相手も勝ちたいし、こちらも勝ちたい。だけど、こうやれば必ずこういう結果が出るというものではない。だから、傾向を読んで確率の高いものを選択して、それを徹底して狙っていく。結果は、神様に委ねようじゃないか、ということです。

「挑発」で探る監督の器

相手と戦うには、まずリーダーを狙えというのが鉄則です。チームの中でどういうリーダーシップをとっているのか、普段どういうことを選手に言っているのか、試合中にはどういう作戦指示を与えているのかといったことも、あらゆる情報網を使って情報を集めている。そうすると、この監督には負けられないなとか、普通にやっていれば勝てるだろうとかいったことになる。長嶋監督の采配のことを「カンピューター」と言うが、まさにその通りなんですね。先日も元西武監督の森さんと長い時間話していたんですが、長嶋監督は考えることが最大の苦手だそうです。これは森さんがおっしゃった。それからピッチャー出身の監督もやりやすい。それは、私が思うのには、野球の戦術とか細かい攻略方法、作戦の立案などはできないんです。どうしてかと言うと、環境は人を育てていく、性格を形成していくと言います。ピッチャーというのはほかの選手より高いところにいて、見えているのはキャッチャーとバッターだけでほかは何も見えない。だから、自分だけの世界になりがちで、ましてエースで4番でやって来れば、それはもうお山の大将なんです。そういう背景があるから、ピッチャー出身の監督もやりやすいですね。その中でタイプが違った監督というのが巨人の藤田元監督です。この方は野手的な感覚を持っていらっしゃる。それは、彼だけが、巨人のエースだった時に西鉄にやられて、南海の杉浦と投げ合って負け、「悲運のエース」と叩かれた。それで、自分が期待に応えられなかった。伝統ある巨人に汚名を残したという自覚がおありになるんでしょうが、この人は私の尊敬する一人でもあります。

結局、戦いというのは騙し合いなんですね。だからいろいろな策略を使ってみると効果がある。策略とはどういうものかと言うと、そもそも3つの基本があると言われています。「増長の策」「敬遠の策」「挑発の策」がそれで、私が一番よく使うのが「挑発の策」です。「増長の策」というのは褒め殺しで、とにかく褒めて褒めて褒めまくる。「敬遠の策」は相手を強いと認めたうえでどう対処していくか、避けて通れるものはできるだけ避けて通る。そして「挑発の策」ですが、なぜ私がこの策略をよく使うかというと、相手チームの監督のことが一番よく見えてくるからです。私が監督に就任した時、おぼえていらっしゃる方もいるかもしれませんが、新聞紙上やテレビなどのマスコミを使って、長嶋監督をかなり挑発した。長嶋ファンはとても多いですから、そういう話は必ず長嶋監督に伝わる。私とすれば、それも計算に入っているわけで、すぐに乗ってくるのが長嶋監督なんですね。だから会っても挨拶もなければ、口もきかない。そういう態度を見て、「ああ、こっちのペースだな」と思うわけです。「挑発の策」を使うのは、人間の度量や性格を見抜くのに、これが一番いいと思うからです。心が狭く、度量のない人は、すぐに乗ってくる。これに乗ってこなかった、たった一人の監督が森さんです。これには正直、参りましたね。名監督に定義というものはないと思いますが、川上さんのようにあれだけ勝ってしまえば、もう文句のつけようがなく名監督ですけど、その点、なんで森さんが言われないんだろうと不思議に思うんですね。あのチームなら誰が監督やったって勝てると言われたわけですよ。そこに彼の大変なジレンマがあるんじゃないかと思うんです。

ID 野球誕生のウラ事情

誰が予想してもBクラスとか最下位のチームは逆にやりやすいんですよ。だめでもともとですから。誰が見ても優勝候補のチームは逆に大変だろうと思うんです。そういう気楽さはあったわけですよ。でも、1年目が5位。3年契約で、あとどうしようかと思って、自信がなくなっちゃいましてね。いたるところに、これじゃ勝てないというものが、垢のようにこびりついちゃってるわけですよ。それをどうやって拭い去るか、まず1年目でそういう問題にぶち当たった。とにかく選手全員が優勝できないと思ってますから。もう顔に出てるし、言動にも出る。野球は意外性のスポーツで、弱いチームでも強いチームを倒せる、そこに野球の面白さがあって、やり甲斐もあるんだと、さんざん選手たちをその気にさせようとするんだけど、全然聞いちゃいないんですよ。もう雰囲気で分かる。まずそれが一番最初の悩みのタネで、これはコツコツ時間をかけてやっていくしかないなと。そしてID野球というのを打ち出しました。IDというのは、データを生かして、プラスアルファをどうやって引き出すかということです。力がないんですから、彼らはただ練習、練習、そして試合では気迫、気迫ののびのび野球をやっていますから、まるっきり考えてないんですよ。頭を使ってない。ここに僕は一つの活路を見出したんです。野球は頭でやるんだということを徹底して、データというのはこうして収集して、分析して、活かすんだということを、具体的に言い続けました。たとえば、巨人の斉藤、あるいは桑田、こういう投手をお前たちはどうやって攻めていたんだと聞いたら、誰も答えられないんです。「広沢、お前どうなんだ」と言ったら、「その日によって、打席に行ってから考えます」と。逆に言うと、それが、僕にとっては救いだったんですよ。たとえば、打者とバッテリーとの勝負に関係するのはボールカウントなんですよね。0−0とか0−1とか、12種類のボールカウントがあって、これは、有利、不利、五分五分という分類ができるわけです。

野村データ野球の実際

僕は長い間キャッチャーをやっていて、サインを出すのにどういう時に困るかと。困った時ほど、人間というのはクセが出ると。たとえば、その当時の巨人・中尾、彼のクセというのが必ずある。それを出してみろと。そこから1年分の、斉藤や桑田の投球の、一試合に投げる百何十球のデータを全部持って帰って、12種類のカウントに全部はめこんで、そしてランナーのいる時、得点圏にいる時、接戦の時、試合の前半、後半と分類すると、はっきりとした傾向が出るわけですよ。そういうことを逐次具体的にデータで、選手たちに示したわけです。それからピッチャーがサインを見る時にはまだボールはただ持っているだけですね。捕手からのサインが出て、はじめてボールの縫い目へ指をかける。そのボールの握り方が変化球によって違うわけです。たとえばフォークボールは2本の指で挟みますわね。じっと見てると、挟む時にグローブがピッと開いたりね。僕はそういうのを見るのが得意なんですよ。そういう打つための、勝つための方法論というのは、考えたらいくらでもあるんです。そういうことを彼らは考えたこともない。ただのびのび野球をやっている。私が監督になった時、ネット裏の評論家の人たちは、野村はヤクルトには合わないと。頭を使えだの、考えろなんて言ったって、ヤクルトの選手ができるわけがないと、さんざん言われました。

野球の常識の徹底

野球というのは、勝敗の行方を7、8割方ピッチャーが握っているものなんです。単純に言えば、0点で抑えれば100%負けはない。しかし、10点とっても100%勝てるという保証はありません。ヤクルトのピッチングスタッフを考えると、さすが10年以上Bクラスを続けているのももっともだな、と。まあ、ピッチャーに限ったことではないんですが、私も監督に就任してから、このチームはまずどこから手をつけようかと、真剣に考えました。最初にやったことは、俗に言う意識改革でした。お互いにコミュニケーションを密にして連日ミーティングで話し合うしかないと考えたんです。チームを強くするにはチームを変えなければいけません。また、チームを変えるには監督だけ代わっても仕方ないんで、選手一人ひとりが変わってもらわないといけないわけです。そこで連日、練習後にミーティングをもちました。そして1ヵ月が経過。結果は「ああ、やはりこのチームではBクラスだな」と。野球の常識が選手たちにはまったく理解されていないんです。たとえば先頭打者。当然塁に出ることを考えますね。どうするか。ヒットを打つ。あるいはフォアボールやデッドボールで塁に出る。そこで選手の思考が止まっちゃってたんです。そこまでは当たり前のことで、同じ打つにしても、フライを上げて捕られたら終わりだし、どんなに俊足であっても意味がありませんね。それがゴロだったらどうなのか。相手は足が速い。野手は意識するし、エラーや悪送球を誘いやすいわけでしょう。だからゴロを心掛けたバッティングをする。ここまで選手たちは考えないんですよ。2番以降も同じことで、トップバッターが一塁に出たとする。ベンチから出るとばかり思っていたバントのサインが出ていない。そこで、監督が何を期待しているのかをよく考えてほしいわけです。さて、いい形でクリーンナップトリオを迎えました。無死あるいは一死でランナーが一、三塁です。外野フライで犠牲フライとなって1点入るケースですね。じゃあどの球を狙うか。当然高めの球に的を絞りますね。それ以外に何かないか、と聞くと分かってない。こちらとしては、3人いる外野手の中で一番肩の弱い選手のところへ打球を狙う、というところまで考えてほしいわけです。選手たちに「君たちはそういうことを考えたことがあるのか」と聞くと「ありません」と言う。ピッチャーも同じことですが、「監督が自分に何をしてほしいかを考えることは、イコール相手が何をしたら嫌がるかを考えることであり、とにかく相手が嫌がることをしろ」と。そういうところから意識改革をしていったわけです。ヤクルト就任1年目は、そんなことを繰り返すうちにシーズンを終え、5位という不本意な結果に終わってしまいました。

盟主・巨人の誤算に学ぶ

95年の巨人から大変なことを学びました。巨人は連覇を狙って、30億円もの巨額を投資して無敵といわれるようなチーム作りをしたため、10人中8人か9人までが、ダントツで今年は巨人が優勝だろうと予想していたわけですね。ところが、シーズンが終わってみると、弱いはずのヤクルトが優勝して日本一になってしまったわけでして、そうすると、何でこうなるんだろうという、いろんなテーマがそこから出てきて、野球観の見直しなんてことも考えることにつながるわけです。なぜ、強いはずの巨人が勝てないかということです。9つのポジションにおいては、適材適所というものを考えて配置するわけですね。ところが、攻撃となると、3番、4番以外は意外にいい加減に配置する監督さんが多いような気がするんですね。しかし、野球というスポーツは1球1球投げていく間に当然、状況が変わるものなんです。たとえば、選手たちがバッターボックスに入る時に、役回りというのが回ってきますね。自分はそこで何ができるのかというところから考えて、条件と状況という大きな柱から判断をしなさいということになるわけですが、要するに1球1球の間にしっかり準備をしなさい、しっかり考えなさい、しっかり知恵を絞りなさいという時間を与えているわけです。ところが、巨人には4番バッターばかりが並んでおりますから、バントが必要な状況のところでバントのサインに選手が応えられないことが起きるわけです。確かに、4番バッターをずらっと並べれば顔ぶれはすごいけれども、逆の心理もあるんですね。どういうことかというと、我々対戦する側としては、さらに向かっていかなければならないわけですから、嫌でも集中力の持続ができるんですね。

名将・野村もお手上げ

長嶋一茂。一説によると、監督が意地悪をして、わざと使わなかったんだと。これはマスコミが作り上げたことで、やはり人気だけでは使えないんですよ。実力に裏づけられた人気という考え方ですからね。彼の場合は親父の人気で、一茂の人気じゃないと思うんです。それからもう一つは、練習と本番とで人が変わっちゃうんですよ。彼の練習を見てたら、東京ドームの一番上、外野の2階席の看板へドーンと飛ばすから。それが試合になると、とてもスタンドには届かないという打ち方になるんです。なぜか。まず怖がり。ボールを怖がる。ランナーへ出ればアウトになることを怖がる。それから続かない。「黙々と」とかいうこととは、およそ縁のないというのがありますよね。それから強いて言えば、鈍い。僕がやはり人事は尽くさなきゃいかんなと思ったのは、甲子園で9回、3−3の同点場面。2死から、代打の八重樫が左中間に2塁打を打ったんですよ。2死、走者2塁です。そうすると、八重樫より一茂のほうが足が速いし、2死だから打てば走るだけ、何の判断もいらないから、一茂で十分だと思ったわけです。それで一茂を代走に起用した。そして次の打者が二遊間にゴロを打ったんですよ。それを阪神の和田が1塁低投、ボールは転々と阪神ベンチの前へ行ってる。ところが、長嶋一茂がセカンドゴロだからもうだめだと思ってサードで止まっているんですよ。3塁コーチの水谷が「行け行けー」と叫んでるんですけど、「どこへ行くんだ、どこへ行くんだ」と言っている。もうこれは血が逆流しましたね。結局、その勝てる試合を落としたんですよ。

アメリカにやったというのは、追い出しかと聞かれる。これは先手を打たれたんですよ。とにかく2軍に落とすというわけにはいかなかったもんですから、2年間、1軍で何とかしようと思って、チャンスがあればチャンスを与えて、育てようという気持ちでいたんですけど、3年目になって、今年はちょっと苦労させたほうがいいだろうと。恵まれすぎて、豊かな環境にいると何も見えないのは世の中の常識で、いっぺん2軍へポーンと追いやったら、少しは物が見えてくるだろうから、突き放してみようと思ったわけですよ。そしたら先回りされちゃった。誰が知恵をつけたのか、2軍へ落とされるんならアメリカへ行けということで、アメリカへ行くことになった。真相はそうだったんですよ。

勝利の鉄則・3つの指針

監督就任2年目。前年の反省も踏まえて、私は3つの方針を打ち出しました。まず最初が、楽をしていい結果は出ない、ということを分からせることです。頭の中で理解できても、それを行動に移す時、楽なことと苦しいことがあると、弱いチームの選手ほど楽を選ぶんです。当時の主軸打者である、広沢や池山がホームランを打ちますね。結果的に楽にホームランを打った感じがあっても、打つまでの過程は我慢があったはずなんです。膝から腰から肩から、開かずにボールを引きつけて呼び込むというのは、ハタで見ている以上に辛いものがあるんですよ。一事が万事で全部そういうことなんだということを選手たちに言いました。2つ目が、プロセスを大事にしなさいという点。ストレートと変化球、五分五分の気持ちで待っていたら、ど真ん中にボールが来ても手が出ないんです。バッターボックスに入るまでのプロセスで、何を狙ってどう打つかをはっきりさせていないと、クリーンヒットは打てない。最後が勝負の鉄則、敵を知り己を知るという点。そこに状況というものの背景、前提の中で野球をしなさい、と。自分は何をすべきかということが当然そこから出てくるわけです。この3点を柱にしてその年は取り組み、ようやく選手も理解ができて、体も動くようになってきたかな、という感じを持っています。私はもともとデータの裏にあるのが何なのかを探るのが好きなんです。前の打席で打ちとられた球種は何だったのか。その球をまた投げてくるのか、裏をかいてまったく違う球を投げてくるのか。次にキャッチャーの性格を知り、ピッチャーの球威を考えていく。こうした1打席1打席の積み重ねがデータとして膨らみ、相手の配球が、より正確につかめてくるんです。

野村野球は頭八部

監督就任直後の、ユマキャンプでも口をすっぱくして選手に言ったのは、「ヤマ勘」と「ヤマ張り」は異なる、ということでした。では、どうすれば確実な「ヤマ張り」ができるでしょうか。いくつか挙げてみましょう。まず、ピッチャーの持ち球をおぼえること。球種がどの程度あるのかを知るだけでも、随分と余裕が出てくるはずです。次が配球パターン。ストレートで入ってくるのか、カーブなのかシュートなのか、インコースかアウトコースか。さらに、ワンツーといったバッティングチャンスに何を投げてくるか。それが読めてくればフルスイングできるはずですから。逆にワンスリー、ノースリーといった、ピッチャーにとって不利なカウントの時、カウントをとりにくる球が必ずあります。ここもチャンスといえますね。そしてウイニングショット。勝負球は何であるかが分かるだけでも狙い球がかなり絞れることになりますからね。結局、野球は頭八分、気力一分に体力一分というのが私の理論です。ただし、むやみやたらとデータというのではなく、そこに心理要因も盛り込んでいかねばなりません。ピッチャーは緊張した局面ではどんな配球になりやすいのか、あるいは、普段のピッチングの組み立てと違うのはどんな時か、といったことです。事例を一つ挙げてみましょう。中日の星野監督がマウンドに行ってハッパをかけた時は、だいたいがストレート系をキャッチャーが要求しているはずなんです。カツを入れたのが、気合いで勝負するタイプの監督ならばまず8割方ストレート系の球でしょう。野球選手は本格的に心理学の勉強をする必要があるかも知れませんね。

ポスト・ハングリー精神

私は何を最終目標にしているかと言いますと、「やさしい野球」ということです。たとえば、一流と二流とではどこが違うかということですが、決定的なのは、一流と言われている人はヒットを打つことにしても、簡単に見せることができるわけです。それに対して、「野球って難しそうだな」というように見せてしまうのが二流の選手です。「吉川英治全集」の何巻か忘れましたが、「難しい、やさしい、どっちも本当だ」というくだりがあるんですが、それを読んだ時に「ああ、自分が目指すところはこれだ」と思ったんです。つまり、何をやっても、難しいという立場でもできる。しかし、本物になるためには、この難しい道も、もう一つ苦悩したうえで初めてやさしくなるということなんです。ですから、そういう難しいということも踏み越えずに、苦悩ということも経験せずに、やさしくやろうとするから、結局、見ているほうに難しく見せちゃうし、見られちゃうということだろうと思うんです。

私自身は選手を分析する時に、4つの基準をもって見ています。まず、人間らしくとか、プロフェッショナルらしく、そういう努力をするというように、ごまかしの利かない、誰も助けてくれない、まさに敵は自分しかいないという世界の中で、「らしく」生きている選手というのは非常に少ないわけですね。2つ目が、意気込みだけで生きている選手。バッターボックスに入っていても何しても、よーし、今度は打つぞという意気込みだけで生きているような、そういう選手ですね。3つ目は、親からもらった天性だけで生きているという選手がいるのではないかと思います。最後は、お前らやめてしまえと、私はすぐ言うんですけれども、自己を限定して生きている選手。こういう4つの視点から選手を見ながら、いろいろなコミュニケーションをとって、希望を与え、やる気を起こさせていくわけです。たった9つというポジションに限定されるというなかで、その奪い合いから考えても、どうしてもハングリー精神が必要ですが、現代の若者にハングリーを求めてもしようがないと思うんですね。何しろ彼らは豊かな時代に育っているんですからね。だから、そのハングリーに代わるものは何であるかということが、選手を動かしていくうえにおいての一つのテクニックではないかなと、私自身は思うわけです。

現代若者の3つの欠点

脱ハングリー精神における人心管理は選手一人ひとりとコミュニケーションをとっていくことだと思うんです。ある専門家によれば、現代の若者には3つの大きな欠点があるんですね。その一つは自己中心的であるということ。もう一つは観念的、これは説明の必要はないと思います。それからもう一つは依存的ということです。なるほどと、そんなことも参考にしながら、選手たちのレベルへ下りていって「お前、野球というのはいくつまでできると思っているんだ」「引退後はどうするかという将来の人生の展望は考えないのか」と聞くと、実際には、考えていない選手が多いんです。ですから、今のうちに稼いでおかなければというように考えた我々の時代とは、全然違っています。ものすごく頼りなくて、しかものんびりとしているんですよね。何とかなると思っているのか、世の中を甘く見ているのか分かりませんが、そこですでにハングリー精神に欠けているわけですね。そうかといって、ちょっとキツイことを言うと、非常に堪えるような選手が増えていますから、反骨精神とか反発心なんていうのを期待してたらとてもじゃない。期待はずれに終わっちゃいます。昔と違って、今の監督はリーダーシップをとっていくうえにおいて、ものすごく難しいんですね。昔はスポーツ界、野球界というのは、頭ごなしに怒鳴っていればよかったんですけれども、そうしてしまうと今の選手は怪我に弱いことに加え、精神面も弱いため、非常に気を使わせるんです。そういうことも踏まえて、働いてもらわなければいけないというのが実態です。やるのは選手ですし、やらせるのはこっちですから、そのあたりのことに、非常に私自身は神経を使うんですけれどもね。

中間管理職(コーチ)の役割

中間管理職であるコーチ連中の指導というのも、今、転換期に来ているのではないかと僕は思うんです。コーチ陣のスタッフに、変わった人材として、角盈男(すみ・みつお)というピッチングコーチを起用してみたんですね。野球の技術論というのは、今の選手はよく知っているんですね。ですから、コーチがする仕事というのは、一つは技術管理ということ。もう一つは人心管理。この二本立てだろうと思うんです。コンディション管理を含めた技術管理というのは、みんなそれに集中して、得意になってやっているんで、あまり心配はないんです。しかし、反対に精神面では、もっと自信を持って行けと言っても、勝手に自分の中でマイナス作用を起こして、能力を出せない選手が多いんです。そんなこともあって、角コーチを起用してみたんです。彼はタレント性を持っていまして、またなんとかそういう方向で生きようとしている変わり種なんですけれども、これからのコーチにはこういう人間が向くんじゃないかと思ったんですね。

実際にはまだ若いし、ちょっと無理かなとも思ったんですが、彼は非常に気さくな人間なんですね。たとえば、選手が兄貴のように接近できるし、彼もまたポーンと選手の中に入っていって、「どうしたんや、今日は元気ないじゃないか」と声をかけたり、何か話しにくそうにしていると、試合が終わってから、遠征先なんかでも、「おい、ちょっと飯食いに行こう」と言って連れて行ってくれるところがあります。そうすると、次の日は選手が爽やかな顔をして来るんですね。そういう人心管理ということが、非常にうまい男だなという感じを持ったものですから、起用してみたんです。結果として、それが見事に成功しまして、投手陣が非常によくまとまり、よく働いてくれて、こういう結果(95年日本一)につながったんだと思います。一試合でレギュラーというのは、だいたい最低4打席、打席に立つんですよ。後半につかまるということは、相手バッターの3打席目くらいですよ。3打席目に入るバッターというのは、1、2打席目を参考にしてどう打つかを決めてくる。3打席目も1、2打席目と同じ攻め方をするからつかまるんで、それが試合の後半にひっくり返されたり、やらんでもいい点をとられてノックアウトを食らう。

試練に勝つ変化への対応力

この世界で生きようと思ったら、どの世界も同じだろうと思いますけど、変化への対応ですから、変化を見なければだめだと思うんですよ。変化を見るものはデータであり、経験であり、その人の持つセンスだと思うんですよ。これは僕だけが思っていることなんですが、運勢とか運命というのはあるんじゃないかと思うんですよ。僕はホームラン王とか三冠王とか、南海の時にプレイングマネージャーで優勝した時もそうですが、一番になる時というのは、すんなりなっていないんですよ。大変な試練に苦しめられて、やっとタイトル、三冠王、優勝というのがあるんですよね。それがずっと頭にありますから、第4コーナーに差しかかり、9連敗した時に、また来たと思いました。僕はそういう星の下に生まれてるような気がありますから。まあ簡単に開き直るということはよくないと思いますけど、ある意味では開き直りかもしれません。世の中で成功した人というのは、みんないいことをおっしゃる。成功した人の共通点として、一つは動じない雰囲気をもっているとかね。僕らも監督として、心の中ではビクついても、言動においては堂々としてなきゃいけない。

有能な人材のポイント

古田は、僕の「ボソボソ」で育ったと思うんですよね。僕は試合中にベンチでボソボソ喋ってるんですが、あのボソボソを聞いていると、ものすごく参考になるそうなんです。あれ、よくファンの人に何を喋っているんですかって聞かれるけど、僕は選手に向かって喋ってるんです。ほとんどみんなに聞こえるように喋ってるんですね。そしてその喋りで選手たちにヒントやテーマを与えるというか、そういう意識で喋ってるんです。「ここは絶対に外角しかない」とか「ここは90%以上ストレートだ」とか言うと、なぜか僕の言う通り来ますね。そうすると選手はホォーという顔をする。ですから古田はいつも僕の前にいました。

舞台は89年秋のドラフト。その前に既にヤクルトの監督就任が決まりましたが、戦力は現状のまま変わらないわけですから、当然新しい目玉商品がほしいわけです。あの時は、スーパールーキーの野茂英雄がいて、ほとんどの球団が野茂を指名しましたね。ヤクルトもしかりです。では抽せんで外れたらどうするのか。もともとヤクルトというチームは、ピッチングスタッフが弱いんですね。そこへもってきて、尾花高夫といったベテランも右膝を痛めてフル回転はとても無理。じゃあほかに今、どのくらいいいピッチャーがいるかと見回しても、川崎憲次郎や西村竜次が半人前よりちょっといい、というぐらい。岡林洋一あたりにいたっては、まだまだ半人前。そんなことでピッチャーは35人いるんですが、ただ頭数だけはいるというだけで、なかなか辛いものがあるわけです。結局90年はピッチャーの補強は西村が採れただけでした。そんななかで、キャッチャーの古田敦也が、逆指名でヤクルトへの入団を希望していたんです。が、どの球団も古田は敬遠していました。体が華奢ですし、おまけに「キャッチャー」でビール瓶の底みたいな眼鏡をかけた奴がピッチャーの球をまともに受けられるのかと、スカウトの評価も低かった。実際、眼鏡をかけているというだけで、大学の時、阪神が指名をやめたことがあったそうですよ。しかしそこでヤクルトは博打を打ったわけです。肩が良く性格が明るいという評価だけで。それにスカウトの報告によれば、「あくまで守りの選手であってバッティングは全く期待できない」ということでした。しかし実際に見てみると、これがなかなかどうして、結構バッティングセンスを持っていたんです。何がいいのかといえば、まず性格的にとても思い切りがいいので失敗を恐れない。ほかの連中は、ストレートかカーブかフォークかと、マイナス思考みたいに迷うのが多いんです。古田は攻撃的な性格なんですね。ただし、守備、つまりリード面となると、この強気が裏目に出ることがたびたびあります。押すばかりでなく、時には引くということも折り込んでリードしないといけませんからね。ですから、1年目は古田を評して、「肩は一流、バッティングは二流、リードは三流」と言ってたんです。

見習うべきイチローの姿勢

スーパースターが出現することによって、これだけファンが盛り上がるのかというほど、イチロー効果というのが出てますし、何よりも彼自身が、親善試合でも何でも、とにかく野球選手は損得を考えながら仕事をするものじゃないということを身をもって示してくれています。つまり、地位だ、名誉だ、財産だというのは後からついてくるということを、イチロー自身が証明しているわけですね。彼の場合、練習にしても、いい加減な練習というのは絶対、やらないんです。バットを1本持って、全力でやっているわけで、あの集中力や真剣味を帯びたスイングの仕方一つをとっても、すごいなと思います。とにかく、日本シリーズで対決したイチローという選手の存在には、私は経営者として非常にいいヒントがあるのではないかと思います。球団に利益が出たら、その利益分は全部イチローにやってもいいのじゃないかと思うぐらい、私は彼のファンになってしまいました。今では、尊敬すらしたくなるような選手なんですけれども、こういう素晴らしい選手がヒントになって、いろんなことを学ばせてくれると思うんですね。だから、我々も取り残されないように、しっかり時代を見つめながら、それに追い付いていき、そして追い越していきたいと思います。

外国人選手への気配り

また、外国人の扱いではオマリーの例があります。わがままで、技術的にも長打力がない、ということで阪神はクビを切ったんですね。確かにわがままなんですよ、オマリーは。しかし、本番の試合においてはわがままではなく、逆に優等生なんです。彼の場合、アメリカ人ですから、非常にプライドが高くて、しかも恥の意識ということに対しては、ものすごく敏感なんですね。それに、オマリーにしても、ミューレンにしても、アメリカで育っているわけですから、アメリカの風習とか、アメリカ人のちょっとした気質というものを知ってやらないとうまくいかない。ところが、そうではなくて、一方的に「ここは日本だから、お前らも日本に合わせろ」と言っても、それは無理な話です。そういうところに気を使ってやると、貸しを作ったことになり、また、彼らも「この監督のためにやらなければいかん」という気持ちになるそうです。つまり、人間関係を重視するということですが、そのあたりで、外国人選手の使い方と日本人選手の使い方というのは自ずと違うと思いますので、当然変えているわけです。ところが、日本人的な考え方でもって、まさに軍隊のように、わがままは絶対に許さんというのでは、外国人は絶対反発するでしょう。アメリカというのは、まさしく自由な国ですから、そのあたりのことをよく理解してやればいいと思うんですね。

プロ野球の再生工場

プロ野球の「再生工場」だなんて言われますが、これが褒め言葉だとしても一つも嬉しいことはないんです。もっとも、監督としての手腕を試す自分自身の訓練にもなって、私のためということになる。たとえば小早川選手も、広島にいて戦力外通告を受けた選手です。開幕戦でホームランを3連打しましたが、それは決して偶然ではない。根拠がちゃんとあるんです。私は「ID野球」と常々言っているが、私がヤクルトの監督に就いてから、一番成長したなと思うのは、なんといってもスコアラーです。注文をしなくても、素晴らしいデータを出してくるようになった。いい加減なデータを持っていくと、監督に突き返されるとスコアラーも言うんですが、私も実際に、使いものにならないようなデータを出してきたら、突き返します。このデータが、うちの野球にとって命なんですね。話を小早川の開幕戦3連発に戻すと、小早川がなぜ3本ものホームランをああいう大事な一戦で打てたかというと、自分を不器用だと認識したからです。「お前は不器用だと言うけれども、落合やイチローみたいな器用なバッターと同じように、来た球を打つ。まっすぐだけを待って、変化に対応していくといったバッターの理想型をしていない」と。そう言うと、「広島時代には、ヤマを張るなとやかましく言われてきて、集中して、来た球を打っていた」と言う。だから、私はこう言ってやった。「俺は日本一のヤマ張りだ。それで三冠王をとり、ホームラン王も何回もとった。だけれども、通算では2割8分しか打てなかった。しかし、不器用は不器用に徹したいき方をすれば、プラスアルファは出るんじゃないか」「君は2割5分打者だ。一流バッターは100打席に30本のヒットを打つ。たった5本の違いだよ。5本くらい何とかなると思わんか。だから、データ、傾向を調べて確率の高いものを狙いなさい」「12種類のボールカウントがあるだろう。ノーワン、ノーツーになればピッチャーはストライクを欲しがるだろう。そうなれば、外角か内角かストレートか変化球か、どういう球でストライクを稼ごうとするかを考えればいい。そこにはキャッチャーの癖もあるし、ピッチャーの癖もある。いろんなデータを調べて確率の高いものを狙う。それでやってみないか」と。それで彼は、「監督の言う通りにやります」と言った。だから私は、オマリーや稲葉という左バッターに対して、斉藤投手がどんな攻め方をしたかという、前年のデータを見せた。「すごいですねぇ」と彼は感激した。「今までは分からなかった」と。それで、彼は狙いを定めてガツンとセンターにホームランを打ったんです。ベンチに帰ってきて、「監督、バッチリです!」。だから私は、「今度の打席はこういうふうな傾向に変わるはずだから、思い切って狙っていけ」と言ったら、またコーンとホームランを打った。今度は向こうから私に、「監督、次は何を狙ったらいいでしょうか」と。「こうなったんだから、次はこれしかないやろ、これ一本でいけ。逆の球が来たら失礼しましたと言って帰ってこい。何事も徹底だ、お前は不器用なバッターなんだぞ、器用にこなそうと思ったらとんでもないんだぞ」と。そう言って放り出したんですが、まさかの3連発です。あの時の嬉しそうな顔はいまだに忘れられませんが、こういう活躍がチームを盛り立てていくんです。

リストラ組の生かし方

よその球団をクビになった選手はとにかく追い詰められている。その反骨精神を利用する。そして、今よりも変わることを勧めて、具体的な立案をしてあげる。そしてまた、不安材料を何とか取り除いてあげる。才能というのは、自分を信じることだと私は思うんですね。だから自分が信じられないうちは、才能が開花するわけはない。たとえば廣田にしても野中にしても、大事な場面に放り出す。そうすると、彼らは「えっ、こんな場面で俺を使ってくれるのか」と意気に感ずる。たとえ、それが凶と出ても、ショックはないんです。やっぱり力不足だと反省してまたやり直します。逆に吉と出た時は、すごい自信となる。顔つきまで変わってきます。まさに男は自信で顔が変わるというくらい、本当にいい顔になってくる。

あとのコツは、リリーフピッチャーは腹八分目で降ろすということ。すると、「もう1回行かせてください。大丈夫です」と必ず言ってくる。「いや、いいところで替わろう、次に頑張れよ」と。そして次に「行け」と言うと、うまくいく。そういうふうなことで、監督としての私の思想をどういうふうに選手に浸透させていくか、とくに人使いが一つの大きな重点ですが、それは自然の理に従って人間の心理に基づくことです。

勝ちに不思議の勝ちあり

ヤクルトはチーム事情でどうしても巨額な補強費を出せない。だから、勝つために「何か」をしなければならない。本当に出せないのか、あっても出せないのか分かりませんが、そのしわ寄せは全部私のところに来たんです。だから、それぞれの思想や哲学という「本質」があってこそ、しっかりした考え方ができて、しっかりした取り組み方になっていくのではないかということで、合言葉として「しっかりした野球をやっていこう」というのがあるんです。ヤクルトというのは専用球場もないんです。神宮球場はアマチュア野球の球場だから、アマチュアが優先なんです。今晩ナイターがあるというのに、昼間は学生野球をやっている。よそのチームはその時間帯に球場でガンガン練習しているのに、我々は毎日室内の体育館みたいなところで、コツコツと練習している。会社は金は出さない。ヤクルトというチームは、「無」から「有」を生まなければいかん、という大変なチームなんです。こういうチームが優勝したんです。だから私は勝った時に「勝ちに不思議の勝ちあり」と言った。不思議に勝っているな、と思ったわけです。負けには不思議の負けはないけれども、勝ちには不思議な勝ちがある。これが冒頭に言った「野球界の乱れに乗じた」ということです。つまり、ほかの球団は技術、技術ばかりやって、根本をないがしろにしてしまったわけです。

97年のペナントレースでは、14ゲーム離していた横浜ベイスターズに、2ゲーム半まで追い込まれた。この横浜の勢いをどう食い止めるか、誰を先発投手に持ってくればいいかと、3週間ぐらい前から考えて、石井を一番いい状態に持ってくるように準備をすすめた。その結果が、あの2連勝。あれがペナントレースの天王山になったわけです。この2連勝の陰のヒーローがスコアラーなんですね。これは企業秘密だから詳しくご紹介できないが、すごいデータを出してきた。こうやれば絶対に抑えられると。このデータがあったからこそ、古田の好リード、石井もまさかのノーヒットノーランをやってのけたんです。

これまで、選手としてホームラン王や三冠王をとり、監督として日本一を経験し、こんな果報者はありませんが、最後に一つだけ、日本一の連覇はまだ経験していませんので、それを一つのエネルギー源として戦っていきたいと思います。